作品サンプル

 

 死と生の亜脱臼

 

生きるということは

自動詞ではなくて

他動詞なのだと審判されてから

眼に触れるものすべてが

怖ろしくなった

微風のための微風は嘘で

生きるための労働は詐欺だ

微笑みの裏には企みがあって

そのまた裏側には掘りかえせない〈現実〉がある

 

語りかける言葉は神の摂理に縛られ

命懸けの借金に追われている

妻と呼ばれることを頑なに拒んで

女というジェンダーは

赤ん坊という譫妄に取り憑かれる

夕闇は近くとも 永遠に訪れないだろう

夜を生きるというアイデアリズムが踊る

 

心というのは事物の関係の反映だった

ぎらぎらと輝いて

回転しながら堕ちていく

待つことの柵を振りほどき

粋がって膝小僧を擦りむく

明るみを潜って黒点へ侵犯していくと

ゆったりとした死の眸に見つめられる

 

死ぬということも

他動詞なのだから

ただ自害すればいいというものではなく

なにを死ぬかが問題である

と説教した老僧は

昆虫には生まれ変われない

プランクトンにさえ転生できないだろう

今日の海は不気味に凪いで

入り江で鯨が溺れている

 

夏までにしなければならない

人生の衣替えのあとには

陣痛を伴う律動があり

語り部が魂を刻み終えたら

ゲノム編集による水蛭子が生まれるから

まだ死ぬわけにはいかない

 

やはりしなければならないことは

ひとつふたつあった方がいいのだろう

昔の恋人が不治の病になって

片恋はついに実らず

警官が暴発しても

核戦争はチキンゲームかもしれない

〈世界〉の裏側には

黴がびっしり生えている

 

 

◆第四詩集『羊水の中のコスモロジー』所収

 

  

 

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 生命についてのクリティカルなことがら

 

 

 消滅が生命の定義であるならば、わたしはそれを引きうけて、生きていこうとおもう。色彩の消滅、形態の消滅、そして消滅それ自体の消滅にいたるまで。ただし耐えがたい懊悩ではあるが。

 

あなたの心の切断面にひそむ、耐えている美しさを学んできたから、色あざやかな苦悩の切り口を引きはがし、わたしの古い傷口にあてがう。歌に秘められた想いは遠く、視る眼はつねに、視られる視線。大きな物語のなかに、色あせてゆく小さな物語を入れこみ、名ざされることからそっと退いてゆく。

 

剥がされた顔面は、落ちきらない枯れ葉として、北風に飛ばされ、本来あるべき生地に積もる。くぐもる寝姿に降りかかる、粉雪のような正夢。きっとかなう、きっとかなえてみせる、と呪文をとなえながら、震えている石ころを、おもいきり蹴とばしてみる。花びらを手さぐりするように、消滅しないものはないか、歓びの衣服を脱ぎすてるものはないかと、彷徨と旅立ちの痕跡。

 

消滅を乗りこえてゆく一条の光は、やわらぎの木立のいつまでも守られる芽吹きであるか。見失い、また見失われる。ところどころで心臓の罅割れに気づかされ、それはたたずみと物思いへといざなう。その時、その瞬間だけが、見失われた言葉だとおもいさだめ、消滅はいつしか、あるがままが存在である、あなたの後ろ姿の喪失へと連なっている。それを越えていこうと決心したのは、冬の景色がまだ定着しないうちに、早春を準備しはじめた立春の息づく時刻。

 

わだかまりを解くために、急ぎ足で立ち去るように、歌のなかに隠されているメロディーは、哀しみに打ちひしがれているあいだに、盗みとられる。そんなふるまいは、幼子の爛れた口腔のよう。すれちがいざまに、あなたとわたしの有形の魂が入れかわる。だからどこへも行かず、ずっとここにいることにしよう。

 

 

◆第三詩集『ふりーらじかる』所収

 

  

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 あらわれてくるものにめくばせして

 

はじらいの背には

なまえがある

とあなたはいう

あさがお ひまわり

ゆうだちのにおい

はるかなさびしさ

ひとけのないせんめんじょの

よごれた鏡のなかに

 

あなたの分身がいる

眼をつむれば

ふかい根拠から

おとしもののいいわけ

ふつかよいのあさ

なにもいわずに

さっていった

ゆうがたまでまてない

たてぶえのおとが

 

ふるさとのともだちを

つれてくる

ひとりでかがる

ゆかたのような衣服を

ぬぎすてて

すはだかのまま

まちのなかをゆく

おもいちがいではなく

みなみかぜの吹く

 

まなつびのごご

山村の分校では

せいとのいないしゅうぎょうしき

しゅくだいをだしわすれた

わかいきょうしが

なだめられて

なつやすみをとじる

とおくではなびが

とどろいて

 

ゆるやかな坂を

のぼってくる

灰をまぶした夕もや

 

できないことを

いくらやっても

だめなのか

りぼん ゆうやけ

澄んでいく朱色

 

ときどきはしったり

たちどまったり

わるいことでも

じぶんが他人みたいに

いやがるようにやってしまう

みつめている眼が

くすんでいて

瞳孔のなかに鳥の巣

 

やはりはなしかけた

ほうがよかった

きれぎれのまぶたを

とじれば

うすむらさきのやみが

おりてきて ひとしきり

やまのふもとをぐるり

まがったこしのような

 

いけのほとり

灰色の林のかげ

いつかとおりすぎて

はるかなとおい日

おもいだすかもしれない

まだすはだかのまちを

ぬけれない

わかいきょうしはもうすぐ

 

わけもなくわかれようと

くらやみに白くのこった

はなびのけむり

手にとれるほどの

なきごえ あれは

かえるの一族の

異端児だったはず

けれどいまは

 

もうすこし待って

あらわれてくるものに

めくばせしてから

 

◆第二詩集『それを詩とよびたければ』所収

 

  

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 蝶の水葬

 

夜明け前見た気がかりな夢を

波の上に脱ぎすてると

あなたは海辺の蝶になる

生まれたままの素肌に

鱗粉(りんぷん)をまぶされて

運命みたいに縛りつけられた岸辺から

ふわりと舞いあがる

 

ゆらゆら微風(そよかぜ)の足跡を追っていくと

きっとあなたの臥所(ふしど)に辿り着ける

プルシャンブルーの枕に埋もれ

永遠の眠りをまねている

新月の黒い光は触角の味がした

(はね)がそよいだ内緒話に

風の子が舞っている

 

うろ覚えの花の名のように

忘れがちな片思いの由来

浜辺には早春の潮の香

波の鼓動はまだ聞こえる

永遠を途切れさせた眠りの後

夕凪のようにあなたは目覚めても

蝶の夢は海風にのり

どこまでも遠く翔びつづけてゆく

 

◆第一詩集『蝶の水葬』所収